結局私たちは何を知っているというのだろう。
ここ最近応援している人のことで色々あって、色んな意見を見たりしていた。
「私の好きな◯◯は、こういう人だもの!」
この「こういう人」というのは、その人から見て感じた◯◯であり本当なのか、嘘なのかはきっとどんなに近くにいる人でもわからない。知っているのは本人のみだ。
このような発言をする人を「お花畑」と揶揄ている人もいる。
「あんたが◯◯の何を知ってるの?出された部分だけでもクズ確定じゃん。その点私の好きな△△はマジメで〜」
ああ、ブーメランってこういうことなんだな。
自分の心を他人から決められるというのは誰だっておもしろくない。
思ってもいないことを「こう思ってるんだろ!わかるんだ!」と言われても不愉快なだけ。
だから「決め付け」はやめたい。見えるところで判断して、こうなのかな?こうであったらいいな、と思うだけに留めたい。
好きや嫌いを決めるのも自分だし、何であれその人が納得して、そう思うならいいんじゃないかって思う。
それが気に食わないのも勝手だが、いつまでも粘着質でいるのはお疲れ。ってかんじ。
楽しいことばかり考えてたらラッキーだよ?
ちなみにこんなことを書いている私は上の発言をしている人どちらも結構嫌だ笑
思うは自由。それだけだからね。
というか人がブログ書こうかな、ってタイミングで普通のこと書きづらくなる出来事やめて!笑